愛でたい人生

もうすぐ30歳

走り出したくなった

彼とは知り合って数日が経っていた。


私たちは2日前から、頻繁にメッセージを送り合うようになった。
お互いの仕事の話もそこそこに、好きな分野、関心のあることをシェアしていくとそのひとつひとつに私は共感できた。彼も同じように感じてくれていたらいいな、とソワソワしていた。

 

私の発する言葉に、確かな言葉を返してくれる。
しょうもないやりとりが楽しくもあったし、それでもなぜか会話は真面目なトーンになりがちで、そんな自分たちを愛しく思ったりもした。

 


彼は忙しい仕事の合間にも、ふとした瞬間に私のことを考えてくれているのがわかる。嬉しかった。彼の発する言葉もまた、私の心や思考にじんわりと染み込んでいった。


時には記事を引用しながら知識や考えを分け与えてくれる。あーんと食べさせてもらいながら咀嚼して、何だか私まで賢くなった気がしていた。

 


「お仕事、終わったーー」
水曜日の午後、 そのメッセージを見て私は走り出したくなった。


「私がうっかりそっちに行かないように説得してください…!」


「会いたいなあ」

 

他の男性と違って、少し控えめなコミュニケーションをゆっくり愉しむような印象があっただけに彼の率直な気持ちが刺さって、私はひっくり返りそうになった。


さっきまで向かい側に座って本を読んでいたのに、いつの間にか腰を抱かれているようなそういう距離の縮め方がたまらなかった。思い出すだけでドキドキする。



感情が揺さぶられる。
会いたい、例えそれが彼の冗談だったとしても、もうすぐ30歳になる私にこんなときめきをくれてありがとう…本当にそんな気持ちだった。舞い上がっている私は情けなくもあり、久しぶりに生きている実感があった。

 


この日は言葉のやりとりだけではどうしても足りなくて、私は大きくうねる想いをいっそ彼にぶつけてしまおうと思った。

 

好き。どうしてこんなに惹かれるんだろう。彼をびっくりさせたい、それでもきっと、彼は私を受け止めてくれる。メイク道具は持っていたっけ。とりあえずマゼンタのリップを塗り直して地味な顔に少し血の気が戻った。

 

都心のタクシーは初乗り料金が410円に引き下げられて間もなかった。
「短い距離ですみません…!」考えを溢れさせながら、珍しくタクシーに乗り込み駅に向かっていた。

 

刹那的な衝動だと言われたらまさにその通りだけれど、確信があった。顔は写真でしか知らない。それでも彼が好き。とても好き。この気持ちに間違いはない。

 

素直な性格で良かった。そういえばこれまでだってそうやってひらめきを信じて生きてきた。
恋をしている自分はかわいいもので、先週までの当たり障りのない生活が嘘のように私ははつらつとしていた。